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酒もたばこもやめた理由 [健康]

昔の僕を知る人は、お酒が飲めないたばこは吸わないと言うと驚く。



ショートホープやセブンスターやキャメルやウィンストンを好んで60~80本程度吸うヘビースモーカーで、酒も大ジョッキ4~5杯は顔色一つ変えずに水のように飲み、家では日本酒の冷酒や50℃を超えるウイスキーをきなりで飲む酒豪だった。



僕は1996年に敗血症になった。



その年、都内の有名大学病院担当の営業として契約更改交渉を2月頃から行っていたのだが、診療報酬改定などもあり難航の末、7月に締結できた。当時7-11の毎日で7月にはたばこの吸いすぎもあったのか血痰と微熱が続いていた。酒量も多くなり身体はぼろぼろになっていた。でも体力には自信があったので「無理をして身体を鍛える」というテーマに熱心に取り組んでいた矢先のできごとだった。



久々に休みがとれ、8月12日から16日までお休みをとって長野県に家族旅行を計画した。



当時そこには新幹線が無かったので、妻と幼い息子を先に行かせて、仕事を終えてから最終近くの特急あさま号でそこに向かった。到着するとすぐに休んだ。翌朝、高熱で目覚めた。39.8℃。身体全体が重く、悪寒がしていたがどこか痛いということはなかった。「風邪引いたみたいだから寝ているよ」と、せっかくのリゾートなのに申し訳なかった。風邪薬を飲んで寝ていたら少し楽になった。



夕刻、熱が下がらず腹痛がして、我慢できなくなってきたので、病院に行くことにした。



外来も終わった薄暗い夕刻の古い病院で、早速エコーをとり問診、血液検査もして結局急性虫垂炎と診断され、即入院して翌日手術をすることとなった。



通常のオペと腹腔鏡下の手術の選択肢から後者を選んだ。



翌朝、リスクの説明があり、一時間程度のオペとのことで合意。剃毛後ストレッチャーでオペ室に入り、全身麻酔された。廊下が目の前を走り、オペ室に運ばれる映像は、昔白黒で見たテレビのベンケーシーと酷似していた。



目が覚めたのは、夕方だった。



どうやら、説明によると腹腔鏡挿入して患部切り出しの際に患部が大きすぎて、穴を切り直す手術をしたため、4時間半の手術となってしまった、とのことだった。M社の加熱γグロブリンも投与された。



父が東京から飛んできてくれていた。



その日の夜だったか、発熱と悪寒、震えがとまらなくなり、歯が全くあわせられなくなった。



先生は血液培養を採り、抗菌薬を5種類並べて左腕に皮下注射してテストした上で、点滴を始めた。



その後、抗菌薬の投与が始まったが、震えが収まらず40℃の体温計も差し込んで10秒くらいで振り切った。避暑地では珍しい30℃を超す猛暑の中、湯たんぽを両腋下と大腿に入れ、電気毛布を敷いて、布団2枚と毛布にくるまって震え続けていた。



妻と1歳半の息子が毎日来てくれていた。



敗血症。グラム陰性桿菌。



震えと悪寒と死の恐怖の中で、どんどんと意識が薄れ、昔の楽しかった思い出が脳裏をフラッシュ映像のごとくものすごいスピードで展開していく。やがて客観的に自分を見ていることに気づく。う~んう~んとうなされながらベッドに寝ている自分と、まわりで励ましてくれている家族。自分は天井近くからその光景を眺めていた。



その時「まてよ、俺はまだ何も残していないぞ。人のために家族のためには何もしていない。まだまだやることがあるんじゃないか。何をやっているんだここで。」と思った瞬間、我に返った。戻ってきた。



翌日だっただろうか、ようやく震えが止まり薬が効いたらしい。とんでもない疲労感と脱力感で全く起き上がることはできなかった。四肢にも全く力が入らず、自分で動くことができなかった。下の世話をやってくれている看護師さんが本当に天使のように思えた。



その後の検査で、至る所の臓器に炎症が起きており、しばらく治療が必要であることがわかった。



その後の入院治療は面白くなかったが、毎日妻と息子がきてくれるのがうれしかった。



数日後からベッド上に起きられるようになったが、起き上がるのに5分、病室を出て目の前のトイレに行くのに更に5分ほどかかった。筋力が低下して足が動かないのだ。



67kgあった体重は、60kgまで落ち、野球で鍛えた自慢のふとももは両手のひらで測ることができるほどやせほそっていた。妻は冗談で「カトンボ」と呼んでくれた。



献身的看護と治療によって回復した。



院長と外科部長が回診時にミスを認めてお詫びしてくれたが、嬉しかったのは家族のささえと自分自身が生きられたことだった。



ひとつ思い出して会社に連絡し、7月11日の都内のクリニックでの健康診断の結果を調べてもらった。そういえばまだ受け取っていないと思ったからだ。診断書には、白血球増多症要再検と書かれ、13,000を超える値が記されていた。ひどすぎる。8/20過ぎのことだった。



歩行困難だったが8月も終わるので、会社に行って仕事をしなければとの義務感から退院し、9月2日に出社してみんなに驚かれた。痩せすぎていたようだ。



その後も胆嚢炎が残っていたので担当病院で治療を続け、完治した。



以後、たばこ嫌いになり、酒も受け付けられなくなった。息子はおかげで色黒になってしまった。



生き方を変えるチャンスは、こうして派手な演出でやってきたのでした。
そして、以来、無理をするのは極力やめるようになりました。


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