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「先端科学の社会性」公開シンポジウムの情報 [健康]

早稲田大学 先端科学・健康医療融合研究機構



11月26日に、早稲田大学 大隈講堂にて
「先端科学の社会性」をテーマに
第5回公開シンポジウムを開催します。



日時:2008年11月26日(水) 13:00~17:30

会場:早稲田大学 大隈講堂(大講堂)
地図は、こちら
---> Waseda Campus Map Building No.21


■お申込み (参加費無料)
定員になり次第、参加申込を締め切らせていただきます。早めの参加申込をお願いします。締切:2008年11月20日(木)



http://www.waseda.jp/scoe/repo_081126.html



■プログラム



開  会  総合司会 / 竜田邦明(早稲田大学教授・ASMeW副機構長)
浜尾朱美(キャスター・エッセイスト)



開会挨拶 白井克彦 (早稲田大学総長・ASMeW機構長)



来賓挨拶 泉 紳一郎 (文部科学省科学技術・学術政策局長)



基調講演1「鈍感力」
渡辺淳一 (作家・医学博士)



基調講演2「先端科学・社会・心」
加藤諦三 (作家・早稲田大学名誉教授・ハーバード大学ライシャワー研究所准研究
員)



基調講演3「先端科学はジャックナイフだ」
海堂 尊 (医師・作家)



講演「ASMeW5年間の軌跡」
逢坂哲彌(早稲田大学教授・ASMeW事務局長)



http://www.waseda.jp/scoe/repo_081126.html




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閑話爽快 [健康]

今日は話題を変えて。
さっき、GWで人の少ない都心の皇居を2周ばかり走ってきました。



皇居は4年ぶりくらいです。



膝に水が溜まって走れなく(歩けなく)なってから2年を過ぎ、ようやく走れるようになってきたので。先週土曜日に市河麻由美さんのピラティス&ランに参加し、インナーマッスルとバランスについて学んで、今日は皇居を60分かけてピラティスをやりながら走るピラティスサーキットなる企画に参加してきました。



走り方学んだことありますか?



絶対お勧めですよ。身体の使い方が良くなると、走るのがとても楽になります。大腿四頭筋で走っていたのが、ハムストリングスや肩胛骨から広背筋、大臀筋とか腸腰筋とかで走る感じに変わってきたような気がしています。楽なんです。



これでまたフルマラソンに参加するぞって気がみなぎってきました。



でもまずは10kmくらいからね。



PS.今日、準備運動中に市河さんの携帯に電話があり、FM東京の生番組に声出演だったそうです。


手指保護クリームの個人向け販売開始 [健康]

手指の保護クリーム「プロテクトX2(医薬部外品)」は、現在多くの医療機関で使用されています。
これまで個人では購入しにくかったのですが、この度、(株)ヘルスケアスクエアにおいて、個人向け小分けWeb販売を開始することになりました。
べたつきがほとんど感じられない快適で心地よい使用感の保護クリームです。
頻回の手洗いにともなう脱脂による手荒れ、化学物質との接触による手荒れリスクの高い、医療関連施設、介護関連施設などでご使用いただきたい商品です。



医師、看護師、臨床検査技師、薬剤師、ハウスキーパー、生理検査、栄養科、歯科技工士、滅菌技士、臨床工学士・・・様々な場面で多くの方にお使いいただきたい商品です。



サイズは、携帯用、お徳用ボトル、業務用の3種類。



商品代金小計が4,000円以上の場合、10%オフ+送料無料となります。代金引換便と銀行振込がお選びいただけます。



手荒れリスクを低減し、健やかな手指を保って接触感染を減らしませんか。



専用Webサイトはこちらです。→感染防止のためのツールWebショップ



または、4/30(水)東京で開催されるNPO感染管理支援協会主催の集中セミナー会場で。



Prox60



Prox
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メタボ記念日 [健康]

健診センターでメタボ健診を受診してきた。
40歳以上なので、胸部・胃レントゲン、心電図、尿、便、血液、聴力、視力、身長体重と問診がいつも通りにあるのだが、今回から別メニューが加わった。



「では上着を胸までまくり上げてくださ~い」
白衣を着た可愛らしいお嬢さんに言われるがままにまくり上げる。



その後、いきなり抱きつかれた!
「えっ?※△□」



いやいや、胴囲測定で腕がまわらなかったんです。
「86cmですね(^^)」



おいおいメタボやないかい。



高コレステロール気味なので、たぶんメタボでしょう。



メタボ記念日(^^)/


酒もたばこもやめた理由 [健康]

昔の僕を知る人は、お酒が飲めないたばこは吸わないと言うと驚く。



ショートホープやセブンスターやキャメルやウィンストンを好んで60~80本程度吸うヘビースモーカーで、酒も大ジョッキ4~5杯は顔色一つ変えずに水のように飲み、家では日本酒の冷酒や50℃を超えるウイスキーをきなりで飲む酒豪だった。



僕は1996年に敗血症になった。



その年、都内の有名大学病院担当の営業として契約更改交渉を2月頃から行っていたのだが、診療報酬改定などもあり難航の末、7月に締結できた。当時7-11の毎日で7月にはたばこの吸いすぎもあったのか血痰と微熱が続いていた。酒量も多くなり身体はぼろぼろになっていた。でも体力には自信があったので「無理をして身体を鍛える」というテーマに熱心に取り組んでいた矢先のできごとだった。



久々に休みがとれ、8月12日から16日までお休みをとって長野県に家族旅行を計画した。



当時そこには新幹線が無かったので、妻と幼い息子を先に行かせて、仕事を終えてから最終近くの特急あさま号でそこに向かった。到着するとすぐに休んだ。翌朝、高熱で目覚めた。39.8℃。身体全体が重く、悪寒がしていたがどこか痛いということはなかった。「風邪引いたみたいだから寝ているよ」と、せっかくのリゾートなのに申し訳なかった。風邪薬を飲んで寝ていたら少し楽になった。



夕刻、熱が下がらず腹痛がして、我慢できなくなってきたので、病院に行くことにした。



外来も終わった薄暗い夕刻の古い病院で、早速エコーをとり問診、血液検査もして結局急性虫垂炎と診断され、即入院して翌日手術をすることとなった。



通常のオペと腹腔鏡下の手術の選択肢から後者を選んだ。



翌朝、リスクの説明があり、一時間程度のオペとのことで合意。剃毛後ストレッチャーでオペ室に入り、全身麻酔された。廊下が目の前を走り、オペ室に運ばれる映像は、昔白黒で見たテレビのベンケーシーと酷似していた。



目が覚めたのは、夕方だった。



どうやら、説明によると腹腔鏡挿入して患部切り出しの際に患部が大きすぎて、穴を切り直す手術をしたため、4時間半の手術となってしまった、とのことだった。M社の加熱γグロブリンも投与された。



父が東京から飛んできてくれていた。



その日の夜だったか、発熱と悪寒、震えがとまらなくなり、歯が全くあわせられなくなった。



先生は血液培養を採り、抗菌薬を5種類並べて左腕に皮下注射してテストした上で、点滴を始めた。



その後、抗菌薬の投与が始まったが、震えが収まらず40℃の体温計も差し込んで10秒くらいで振り切った。避暑地では珍しい30℃を超す猛暑の中、湯たんぽを両腋下と大腿に入れ、電気毛布を敷いて、布団2枚と毛布にくるまって震え続けていた。



妻と1歳半の息子が毎日来てくれていた。



敗血症。グラム陰性桿菌。



震えと悪寒と死の恐怖の中で、どんどんと意識が薄れ、昔の楽しかった思い出が脳裏をフラッシュ映像のごとくものすごいスピードで展開していく。やがて客観的に自分を見ていることに気づく。う~んう~んとうなされながらベッドに寝ている自分と、まわりで励ましてくれている家族。自分は天井近くからその光景を眺めていた。



その時「まてよ、俺はまだ何も残していないぞ。人のために家族のためには何もしていない。まだまだやることがあるんじゃないか。何をやっているんだここで。」と思った瞬間、我に返った。戻ってきた。



翌日だっただろうか、ようやく震えが止まり薬が効いたらしい。とんでもない疲労感と脱力感で全く起き上がることはできなかった。四肢にも全く力が入らず、自分で動くことができなかった。下の世話をやってくれている看護師さんが本当に天使のように思えた。



その後の検査で、至る所の臓器に炎症が起きており、しばらく治療が必要であることがわかった。



その後の入院治療は面白くなかったが、毎日妻と息子がきてくれるのがうれしかった。



数日後からベッド上に起きられるようになったが、起き上がるのに5分、病室を出て目の前のトイレに行くのに更に5分ほどかかった。筋力が低下して足が動かないのだ。



67kgあった体重は、60kgまで落ち、野球で鍛えた自慢のふとももは両手のひらで測ることができるほどやせほそっていた。妻は冗談で「カトンボ」と呼んでくれた。



献身的看護と治療によって回復した。



院長と外科部長が回診時にミスを認めてお詫びしてくれたが、嬉しかったのは家族のささえと自分自身が生きられたことだった。



ひとつ思い出して会社に連絡し、7月11日の都内のクリニックでの健康診断の結果を調べてもらった。そういえばまだ受け取っていないと思ったからだ。診断書には、白血球増多症要再検と書かれ、13,000を超える値が記されていた。ひどすぎる。8/20過ぎのことだった。



歩行困難だったが8月も終わるので、会社に行って仕事をしなければとの義務感から退院し、9月2日に出社してみんなに驚かれた。痩せすぎていたようだ。



その後も胆嚢炎が残っていたので担当病院で治療を続け、完治した。



以後、たばこ嫌いになり、酒も受け付けられなくなった。息子はおかげで色黒になってしまった。



生き方を変えるチャンスは、こうして派手な演出でやってきたのでした。
そして、以来、無理をするのは極力やめるようになりました。


昨秋のHawaii感染管理ツアー(1) [健康]

Cif00001_2 去る2006年11月、NPO感染管理支援協会の海外視察ツアーで、ハワイに行ってきたのでその時の見聞をレポートさせていただく。



11月26日 東京在住の私は、ふるさと京都で所用を済ませて関西国際空港へ。ツアー参加者は企業から数名と、通訳、病院勤務の看護師の方を含めて14名。心わくわくJo78便で一路常夏の島ハワイへ旅立った。 フライトは約7時間、多少の揺れはあったものの順調にホノルル国際空港に着陸。当日は晴天で、抜けるような青空が私たちを迎えてくれた。 ホテルにチェックインした後、ホノルルの散策をし、中華料理で懇親会。土井先生の名調子に加えて、美味しい料理の品々に舌鼓を打った。明日は早朝から研修だ。



11月27日 ワイキキの朝は早い。集合時間までワイキキビーチを散策する。心地よい風が通りを吹き抜け、多くのランナーたちが思いおもいのスピードでそこを駆け抜ける。11月の終わりはちょうどイースター(復活祭)が終わりX’masの装飾に変えられ始めたところで、街は少し華やいだ雰囲気になっていた。 9時前にロビーに集合し、メインの研修会場であるThe Queen's Medical Center へ向かう。



病院は、約150年前にカメハメハⅣ世とエマ王女が創設した530床の総合病院。http://www.queens.org この敷地内の研修センターで始まった。 コーディネイターのJさんはロスから現地入り。研修の主幹であるSさんはAPICの大会長をも経験したRNSである。どこか凛とした雰囲気のある素敵な方だ。オリエンテーションと講師紹介の後、米国の病院における危機管理についての講義がなされた。度重なるテロに対応できるような態勢を整える必要があり、さらには天災、人災を含む大規模な災害の時のマニュアルまで整備されていた。中には、バイオテロへの対応なども含まれており、「なるほどCDCガイドラインでも書かれていることが病院単位でも明文化されているんだ」と実感した。同時に、「日本の病院は果たして大丈夫なのだろうか?マニュアルだらけも問題かもしれないが、何か起こってから集まって考える文化も、ちょっとねぇ。」午前中を費やしてそうした話を聞いて、そんな感想を持った後、ランチのためにみんなで職員食堂へ行った。 いわゆるカフェテリアであり、食べたいものをとってレジへ向かう。クラムチャウダーとチキンサンドをとったのだが、予想通りでかい。



欧米では必ず出会うショックのひとつだが、こんな時「幕の内弁当」のすばらしさをかみしめるのだ。オーダーの時は英語が必要なので、日常会話は勉強してから行かれることをお勧めしたい。 でも安心あれ、みんな優しいので、心と笑顔でコミュニケーションしている方もいた。やっぱり本質は心だ。 さて、わいわいがやがや、参加者たちと仲良く感想などを話していたら、あっという間に研修の時間を迎えた。



午後は、おまちどおさま、病院見学である。 私自身、米国の病院見学は久々で、2002年のクリーブランド以来だ。 病院のロビーに集合し、二手に分かれて見学を行うことになっている。私は、当院を見学する組に割り当てられた。



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ブログをやってみることに [健康]

先日、マイケルムーア監督のシッコを観てきました。久々の映画だったのですが、なかなかの力作ですね。これから日本の医療はどうなっていくのかなぁ、政局が不安定で大臣もどんどん変わる中で、どんな政策が打てるのかなぁ、やっぱり基本的に「みんなで助け合おう」という考え方が無くなってきて、「自分たちさえ良ければ、他人のことは別」なのかなぁ。なんてことを考えてしまいました。海外視察のレポートなども書いていきたいと思っています。



このブログの運営母体は、株式会社ヘルスケアスクエア です。




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